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一級建築士事務所(株)ローバー都市建築事務所

建築に関する豆知識

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柳小路と八兵衛明神

(2008年10月17日号 毎日新聞京都版朝刊 京都空間創生術54より引用)

京都で最も賑わいのある繁華街、四条河原町。その北西部分には、「柳小路」という小さな通り抜けができる路地が存在する。巾2mほどの小さな路地であるが、両側には古くからの飲食店や居酒屋が建ち並び、昭和のレトロな雰囲気を今もなお現在に伝えている。河原町オーパの裏側と美松劇場の間にあり、うっかりすると見過ごしてしまいそうなほどである。

 この「柳小路」の歴史は古く、天正18年(1590)から始まった、太閤秀吉の京都大改造にまでさかのぼる。洛中に散在していた諸寺院は、東京極あたりに強制的に移転させられ、「寺町」を形成するに至る。現在の中之町、柳小路界隈には 歓喜光寺が高辻烏丸より移転し、境内には天満宮も移設された。明治政策の神仏分離により、明治40年に現在の京都市山科区へと寺院は移転するのであるが、天満宮は取り残された。現在でも、境内にあった天満宮は「錦天満宮」として、新京極通りに残り、学業と商売繁盛の神様として市民に親しまれている。

 そんな、歓喜光寺の境内には三匹の狸が住み着いていたそうである。名前を「六兵衛」「七兵衛」「八兵衛」といったそう。柳小路の中にある「八兵衛明神」。小さなお社の中には、かわいい8体の信楽焼の狸がおかれている。寺院が移転す るときに、「八兵衛」狸を祀り、地域の鎮守社として創建された。【商売上達】・【招恋】・【幸福満々】・【成績良好】・【心身健康】・【金運最高】・ 【勝運良調】・【家内安全】とまさに八相縁起の御利益を授かれる神社として、人気のスポットとなっている。ちなみに、「六兵衛明神」は錦天満宮、「七兵衛明神」その隣の丸二食堂にそれぞれ祀られている。

 石畳と柳が印象的な「柳小路」。買い物帰りのひとときに訪れてみるのもいいのではないだろうか。

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技と心をつなぐ一枚板

(2010年01月15日号 毎日新聞京都版朝刊 京都空間創生術83 より引用)

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先日、東山区知恩院門前にほど近い「祇園えもん」という、一件の和食料理店を改装する機会に恵まれた。聞けば、25年前の創業以来、包丁一つでこだわりの寿司を握り続けてこられたご主人が、後継者であるご子息と一緒に新しい寿司海鮮料理店をリニューアルオープンしたいというのである。
30坪弱の従前の店内には、紅葉を配した小さな坪庭も整備されており、四季折々の風情も楽しめる京都らしい雰囲気のある空間ではあった。しかしながら同時に、飾り気のない無難なデザイン構成であったため、どことなく印象の弱さを感じさせるスペースでもあった。
ただ、長年、カウンターとして使用されていた長さ2間半ほどもある一枚の檜板は大切に使用され、毎日丁寧に手入れをされてきた。厚み3寸程もあるその一枚板は、反りを生じることもなく、むしろ年を経るごとに美しくなっているようにすら感じられた。店舗コンセプトに基づき、様々なリニューアルプラン案が検討される中、私はこのカウンターだけは残しておきたいと考えた。私には、まるで一枚板が、先代から二代目へ受け継がれる大切な心のバトンのように感じられたからである。
「ともに仕事をしていくなかで、師匠である父から受け継いだ技と心を大切に、素材と向き合い、感性の赴くままに、自分の料理を究めていきたい。」と二代目 安喰一智氏。父親から受け継いだバトンに、更に磨きをかけて輝きを増してほしい。そんな願いをこめた空間創生プロジェクトであった。

古い建具をリサイクル

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秀吉による京都改造によって京都寺町と同時期に形成された寺院町「寺之内」。そんな、寺之内の一角にある、路地奥の空き家。先日、そんな一軒家を改装する機会に恵まれた。空き家となって、しばらく放置されていたために、雨漏りもひどく、お化け屋敷のような家屋の再利用を望んでおられたクライアントからの最初の言葉は、「なんとかなるでしょうか?」との不安げな質問からであった。
念入りに解体調査を行いながら、腐朽している部分を取り替え、適宜、補強修繕を施していく。半ば、古い町家を治療するといった感覚に近い状態で、再生計画を進行させた。
今回、建具の選定にあたっては、他の町家で使用されていた古い建具を積極的に転用。玄関戸やふすま・障子といった建具の他にも、下駄箱や食器棚といった部分にまで古建具を再利用し、その数は合計14カ所にもおよんだ。
実は、京町家に使用されている、たたみや建具といったさまざまな部品は、他の町家にもぴったりとはまる様に、ある一定の規格で製作されている。たとえば、一般的に京間と呼ばれる、畳の大きさは3尺1寸5分(955mm)×6尺3寸(1909mm)で統一されており、その畳がどこでもはまるように、京町家は設計されている。現在のダブルグリッドと呼ばれる設計手法にあたり、古い部材を簡単にリサイクルできるよう先人たちが考え出した叡智なのである。
古い建具を手に触れてみると、使い込まれたなんともいえない味わいの良さがある。
古い梁との調和も美しく、粗大ゴミになりかけていた古建具も再び輝きを取り戻した。環境問題が取りざたされている現代社会。先人たちのリサイクル技術をもう一度見直してみてはいかがだろうか。

火袋空間を快適空間に

(2010年3月26日号 毎日新聞京都版朝刊 京都空間創生術87 より引用)

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京都の町家には、「通り庭」という独特の細長い吹抜空間が存在する。町家の表通りの玄関部分から裏庭へと通された土間スペースであり、基本的に建物の南か東に配される。京町家に暮らす人々は、この土間スペースで炊事を行い、おくどさん(かまど)に木をくべながら日々の暮らしを営んでいたのである。

そんな、通り庭の台所上部の梁や柱が交差する吹抜けのスペースは「火袋」とよばれ、煮炊きものの煙や熱気を外へ逃がすための空間として計画されている。上部には、採光・煙出しのための天窓や高窓が配置され、そこから、柔らかな自然光が差し込む工夫もされている。

戦後、炊飯器やガスコンロの普及に伴って、おくどさんに火をくべることもなくなり、結果、火袋はその役割を担う必要がなくなった。他にも、ステンレス流し台や冷蔵庫・換気扇といった住宅設備も近代化され、人々の生活様式は大きく変化することになる。

写真は、左京区にある町家の改修事例。吹き抜け部分に床を貼り、細長い縦長の火袋空間を巧みに利用した快適な空間として再生させている。天窓からは柔らかな光が差し込み、ソファでくつろぎながら趣味を楽しめるプライベートスペースとしての利用が図られている。

現代において、単なる物置や倉庫として、あまり利用価値のない空間として取り扱われることの多い「火袋」空間。先人たちの智恵をもう一度見つめ直し、新しい空間資源として再活用を図ってみることも必要であると思うのである。

焼けずの寺の瓦塀

(2009年06月19日号 毎日新聞京都版朝刊 京都空間創生術70 より引用)

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京都市上京区智恵光院五辻上る紋屋町にある日蓮門下京都十六本山の一つ本隆寺。長享2年(1488)に日真大和尚によって開創された、法華宗(真門流)の総本山である。もとは現在の四条大宮にあった本隆寺は、天文11年(1542)に現在の地を得て再建され、以後450年余の歴史をこの地に刻んでいる。
この本隆寺、享保15年・天明8年の二度にわたる洛中の大火にも、奇跡的に焼失を免れ、別名を「不焼寺」(焼けずの寺)ともいわれている。
享保15年(1730)の大火、「西陣焼け」。6月20日午後2時頃,上立売室町、大文字屋五兵衛宅台所から出た火は一瞬の間に西陣一体に広がり、室町通以西,北野天満宮以東,一条通以北,廬山寺通以南の西陣を焼き尽くす。西陣一帯は,3千数百軒が被災し,3,012機の織機を失い、壊滅的な打撃を受けることとなった。
その後西陣が再興の道を歩んでいた矢先、55年後には「天明の大火〔天明8年(1788)〕」が発生する。二条城の本丸が炎上し、京都御所までもが被害を受けたこの大火にあっても、本隆寺本堂・祖師堂・宝庫は奇跡的に焼失を免れたのである。以来、本堂に祀られている鬼子母神像は「火伏せの鬼子母神」といわれ、本堂南東角には「不焼寺止跡」の石碑も残っている。
写真は、そんな本隆寺境内を四方に取り囲む、土壁の写真。本堂の瓦の葺き替えの際に、古瓦を土壁に埋め込みながらリズムのあるデザインを施し、再利用を試みている。よく見ると、四周ともデザインが異なり、西側の瓦壁のデザインは比較的整然としている。ブロック塀で囲まれた、現在の住宅事情。環境問題が声高に唱えられている今、もう一度真剣に考え直す必要があるのではないだろうか。

築330年の京町家

(2010年04月23日号 毎日新聞京都版朝刊 京都空間創生術89 より引用)

17世紀の半ばから、18世紀の始めにかけて上方と呼ばれる京都・大阪を中心に発展を遂げた元禄文化。

江戸幕府5代将軍・綱吉の時代に、鎖国政策や幕藩体制の安定もあり、町人を中心に日本独自の美しい洗練された文化が華開いた時代でもあった。

井原西鶴や松尾芭蕉・近松門左衛門といった、文芸人が活躍したのもこの時代のことである。
写真は、京都市上京区下長者町にあるすっぽん料理のお店「大市」。元禄年間(1688-1703)の創業以来、当代で17代を重ねるすっぽん料理の老舗である。間口6間半の大きな間口を持つこの建物は、1件の家屋のようでありながらそれぞれ左右に独立した架構をもつ珍しい形態。写真左側(南側)の主屋棟は元禄年間の創業以来、約330年間、創建当初の姿をそのまま現在に伝える貴重な京町家である。

庶民が2階建てを建設することを禁止されていたこの時代にあって、中2階形式の町家は大変珍しく、きれいな卯建を備えているところからも相当立派な町家であったことを伺い知ることが出来る。外側の柱に数カ所ある刀傷は、武士がいたずらに町家を斬りつけた跡であるらしく、そういった部分も今となっては歴史を感じさせる。

志賀直哉の長編小説「暗夜行路」にも登場する、「大市」の内部空間に目を移すと、そこには初期型京町家ともいうべき、様々なデザインが目に付く。大きな通り庭はそのまますっぽん料理の厨房として機能的に整備され、天窓や煙抜き・準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)といった京町家の基本的な要素も飾り気のない洗練されたデザインできちんと整備されている。今まで多くの京町家を見慣れてきた私にとっても、新しい驚きを感じた空間でもあった。

豪華な桃山文化や江戸初期の文化の伝統をうけつぎながら、独自の発展を遂げた元禄時代。町人の粋を肌で感じる貴重な空間として今後も大切に守っていきたい築330年の京町家である。

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POINT⑩  見積もりでコスト削減可能な項目をチェックする

予算オーバーしたときに、まず最初にコスト削減したいのが、「別途工事費」です。逆に、コスト削減をしてはいけないものが「基礎、土台、構造にかかる費用」です。

コスト調節可能な「別途工事費」とは、床暖房、食洗器、洗浄便座などの基本的な設備以外のもの。また、「外構工事」「植栽」も住むうえでは、支障がないので住みながら手を加えていくとよいでしょう。「木工事」「屋根工事」も強度に影響がない程度にグレードを下げたり、「内装仕上げ」もグレードを落としてコスト削減を図れる項目です。

建築家に頼めば、専門的な知識をもって見積書をチェックしてくれます。

POINT⑨ 工事費とは別枠で組んでおかなければならない予算

家を建てるのにかかる費用を、工事費だけ予算組みしていたら大変なことになります。家づくりにかかった総費用(配分)の目安は、下記のようになります。

<総費用>
 61.3%  建築工事費
 10.4%  設備工事費
 13.7%  別途工事費
  8.5%  設計監理料
  6.1%  工事費以外の諸費用

建築工事費と設備工事費を合わせたものが「本体工事費」です。建築工事費とは、建物自体を建てるための費用で、設備工事費とは、電気・ガス・給排水などの設備を取り付ける費用です。

別途工事費に含まれるのは、地盤補強工事・解体工事(建替えの場合)、外構工事、キッチン工事、家具工事、冷暖房設備工事などがあります。

設計監理料は、建築家が行う設計業務と監理業務に対する報酬のことです。

工事費以外の諸費用とは、家具やカーテン、引越費用、仮住まい費用、近隣挨拶費、地鎮祭・上棟式などの費用、確認申請手数料、設計契約・工事請負契約時の印紙代、税金などがあります。

これらかかる費用をしっかり把握し、予算組みを行いましょう。

POINT⑧ 設備や建材は上手にグレードを下げて統一感を!

各室で部材を変えるのではなく、使用する部材を統一すれば、工事で無駄になる材料も出にくいので、割安になります。

それでは、どんな部材や設備を選べばよいのでしょうか。高ければ全てよしというわけではありません。安くても味のある材料はいろいろあります。それらを上手に使ってコストダウンを図りましょう。建築家は、ローコストにするために色々な知恵をもっています。ぜひ、相談しましょう。

POINT⑦ その設備は本当に必要なものかを検討する

カタログやショールームに行くと、最新の機能がついたシステムキッチンや浴室、トイレはどれも便利で快適な新生活を想像できるものばかり。しかし、それら便利な機能は、本当に生活に必要な機能かじっくりと検討する必要があります。

あれば便利かも!という程度なら、それがなくてもさほど支障はないはずです。必要最低限の機能があれば十分です。設備機器は価格の幅が大きいだけに、過剰な設備は予算オーバーを招くだけです。

設備が充実したからといって、満足のいく快適な家になるとは限りません。その設備は、本当に必要なものかをじっくり検討することが大切です。


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