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焼けずの寺の瓦塀

(2009年06月19日号 毎日新聞京都版朝刊 京都空間創生術70 より引用)

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京都市上京区智恵光院五辻上る紋屋町にある日蓮門下京都十六本山の一つ本隆寺。長享2年(1488)に日真大和尚によって開創された、法華宗(真門流)の総本山である。もとは現在の四条大宮にあった本隆寺は、天文11年(1542)に現在の地を得て再建され、以後450年余の歴史をこの地に刻んでいる。
この本隆寺、享保15年・天明8年の二度にわたる洛中の大火にも、奇跡的に焼失を免れ、別名を「不焼寺」(焼けずの寺)ともいわれている。
享保15年(1730)の大火、「西陣焼け」。6月20日午後2時頃,上立売室町、大文字屋五兵衛宅台所から出た火は一瞬の間に西陣一体に広がり、室町通以西,北野天満宮以東,一条通以北,廬山寺通以南の西陣を焼き尽くす。西陣一帯は,3千数百軒が被災し,3,012機の織機を失い、壊滅的な打撃を受けることとなった。
その後西陣が再興の道を歩んでいた矢先、55年後には「天明の大火〔天明8年(1788)〕」が発生する。二条城の本丸が炎上し、京都御所までもが被害を受けたこの大火にあっても、本隆寺本堂・祖師堂・宝庫は奇跡的に焼失を免れたのである。以来、本堂に祀られている鬼子母神像は「火伏せの鬼子母神」といわれ、本堂南東角には「不焼寺止跡」の石碑も残っている。
写真は、そんな本隆寺境内を四方に取り囲む、土壁の写真。本堂の瓦の葺き替えの際に、古瓦を土壁に埋め込みながらリズムのあるデザインを施し、再利用を試みている。よく見ると、四周ともデザインが異なり、西側の瓦壁のデザインは比較的整然としている。ブロック塀で囲まれた、現在の住宅事情。環境問題が声高に唱えられている今、もう一度真剣に考え直す必要があるのではないだろうか。

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